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四国の寺院と言えばお遍路さん。宿毛市には四国八十八ヶ所三十九番札所、真言宗智山派「延光寺」がある。信心深くないというか、浅く広くの信仰が信条なので、お遍路さんには興味はないが、由緒が面白そうなので寄ってみた。年季の籠った仁王門を潜り境内に入ると、思ったより広々とした空間。目に付く建造物は本堂と大師堂ぐらいで、シンプルな構成だ。
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聖武天皇の勅命で神亀元年(724)、行基によって開山されたと伝わる古刹だ。本尊は安産・厄除けを祈願して行基が彫像した薬師如来像を本尊としている。勅命とあらば仕方がないとは言え、日本の土木王、その働きぶりに驚きが隠せない。
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同じく井戸掘り名人の空海は21才になった延暦14年(795)、ここに立ち寄り、桓武天皇の勅願所として再興し、本堂に日光、月光の両菩薩像を安置して、七堂伽藍を整備したと言われている。もちろん、この時も錫杖で地面を突いて、霊水の掘削に成功している。これが今日も本堂の脇でこんこんと霊水を満たす「眼洗いの井戸」だ。
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まあ日本が誇る放浪偉人だから、この手の話は全国津々浦々に伝わっている。面白いのは境内にある「赤亀と梵鐘の像」にまつわる伝説の方。延喜11年(911)、寺の池に住んでいた赤亀が姿を消し、竜宮より銅の梵鐘を背負って帰ってきたそうだ。赤亀山という山号と「延光寺」という寺号は、この由来によるもの。龍宮伝説も各地に遺っているが、具体的な年号を伴う伝説は少ないような気がする。ちなみに現存する銅の梵鐘に延喜11年の銘があるため、そこから創作された可能性もある。銘文に龍宮ではなく、“鋳弥勒寺鐘”とあるからだが、それは言わない約束か・・・。「弥勒寺」は未だに特定されておらず、龍宮の別称だったかも知れない。記銘のある平安時代前期の梵鐘は貴重らしく国の重要文化財に指定されている。亀の像に乗った銅鐘は実物大だそうだ。探しはしなかったが、境内には他にも、亀を象った岩や植木が全部7つあるらしい。
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像の近くにある池泉式の庭園も美しく、見応えのある寺院だった。

# by sareko026 | 2025-05-23 04:41 | 要仏閣 | Comments(0)
南都鏡神社(奈良県奈良市) / NANTO KAGAMI-SHRINE ( NARA CITY,NARA PREF)_d0397300_05553553.jpg
お気に入りの「新薬師寺」とセットで参拝する「南都鏡神社」は、平城天皇即位の大同元年(806)に同寺の鎮守として創建された。境内は祭神として祀られている藤原広嗣(フジワラノヒロツグ)の屋敷跡と言われている。
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すると今度は舞殿タイプの拝殿が。
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代々に渡って「春日大社」の社殿を下賜されており、現在の本殿も延享3年(1746)、「春日大社」の本殿から第三殿を移築したもの。奈良市の文化財に指定されている。
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藤原四子の宇合、房前、麻呂、武智麻呂(ウマカイ、フササキ、マロ、ムチマロ)一族の末裔で、中央政界で活躍していた広嗣だったが、橘諸兄(タチバナノモロエ)が政権掌握後、影響力を失い、政策を担当していた吉備真備(キビノマキビ)と僧玄昉(ゲンボウ)に異議を唱え天平12年(740)、九州の太宰府で挙兵、「藤原広嗣の乱」を起こしたが、官軍に鎮圧され、斬刑に処された。

で、唐津では怨霊を鎮めるため、広嗣を祭神とし「鏡神社」が創建されているが、天平から天平神護年間(729~767)、「福智院」に玄昉の弟子、報恩が、唐津から勧請を受けている。これが始まりとされており、その後、大同元年(806)に現在地へ移転して社殿を設けたらしい。

太宰府に左遷させられた広嗣は、相次ぐ自然災害を真備と玄昉が原因と朝廷に上奏。玄昉は光明(コウミョウ)皇后や聖武(ショウム)天皇の母、藤原宮子(フジワラノミヤコ)と不貞関係だったことなど、裏付けもあった。ところが諸兄はこれを謀反とみなし、それを受けた聖武天皇も諸兄の判断を支持。これが「藤原広嗣の乱」の導火線となり、結果、命を取られることに。平安時代末期に成立した説話集「今昔物語集」によると、悪霊となった広嗣は、玄昉をバラバラに引き裂いて地上にばら撒いたそうだ。首は頭塔山に、腕は肘塚町に、眉と眼は大豆山町に飛来したとの口碑が伝えられている。都でもその怨念に恐怖し、「南都鏡神社」創設に至ったということか。

なお祭神を十市皇女とする境外社「比賣神社」が、「新薬師寺」に隣接して鎮座する。

# by sareko026 | 2025-05-22 06:08 | 要神社 | Comments(0)
額田白井神社(兵庫県尼崎市) / NUKATA SHIRAI-SHRINE ( AMAGAZAKI CITY,HYOGO PREF )_d0397300_06095861.jpg
なぜか阪急園田駅を中心に4社も鎮座する「白井神社」。駅から最も遠い所、藻川右岸にあるのが「額田白井神社」だ。正式名称は「白井神社」だが、複数ある御社を区別するため、尼崎市神社あんないのHPに掲載されている表記に倣った。主祭神はこちらも“岩戸隠れ”の神話で、岩戸を開いた勇武の神、天之手力男神(アメノタヂカラオノカミ)。
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創建時期は不明だが大正4年(1915)、一度は「神崎須佐男神社」に合祀されたものの、氏子の強い要望で昭和23年(1948)、元の奉斎地である現在地に社殿を再建し、再遷座された。昭和62年(1987)には現在の鉄筋コンクリート造りの社殿に改築している。拝殿と本殿が一体化されたタイプだ。
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拝殿に向かって右には境内社の「松永稲荷社」が鎮座する。合祀された御社を再び遷座させるのは、地域に力がなければできないこと。「白井神社」と天之手力男神は、どうしてこの土地に関係を求められているのか。その謎は解明できておらず、というか考察もしていないので宿題に(笑)。

# by sareko026 | 2025-05-21 06:13 | 秘神社 | Comments(0)
弁財天(大阪府池田市) / BENZAITEN ( IKEDA CITY,OSAKA PREF )_d0397300_04105749.jpg
応神天皇の頃(270~310?)、呉服(クレハトリ)と穴織(アヤハトリ)の姉妹が、機織と染色の技術を伝えたと「日本書紀」に綴られた“呉服・穴織伝承”。そのエピソードは「呉服神社」の項で触れたが、呉国があった現在の中国・蘇州市と池田市は、かつての縁から友好都市の関係にある。そうした背景もあって、桜や梅園、花菖蒲など、四季折々の花が楽しめる「水月公園」は、二尾池と舟池の2つの池を利用し、蘇州市から贈られた斎芳亭を配するなど、中国庭園をイメージしているっぽい。但し蘇州リピーターの私の目には、それっぽくないなあという感想だ(笑)。
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そんな都市公園の片隅に、取り残されたような御堂があった。「弁財天」という扁額通り、弁天さんが祀られている。ググっても詳細は分からない。そもそも公園になる前は、どんな場所だったのだろう。市のHPからは完成が昭和46年(1971)しか分からない。斎芳亭が贈られたのは昭和59年(1984)だから、元々、中国庭園を意識して設計されてないのだ。高低差のある公園なので、山か丘陵を拓いた感じかなあ。
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御堂の周りに安置された地蔵は、公園整備の時に集められたのかも知れない。何か分かったら追記しよう。

# by sareko026 | 2025-05-20 04:13 | 地蔵・御堂・祠・磨崖仏 | Comments(0)
宇賀部神社(和歌山県海南市) / UKABE-SHRINE( KAINAN CITY,WAKAYAMA PREF )_d0397300_05322038.jpg
途中、バックミラーがかすめた跡を残す電柱を横目で眺めながら、対向不可の生活道路を慎重に進む。ようやく広くなった道に出て「宇賀部神社」の駐車場に辿り着いた。そこに掲げられた説明板には、駐車場の一画に小野田寛郎(オノダヒロオ)元陸軍少尉の両親が、晩年を過ごされた屋敷がこの一画にあったと記されていた。そう言えば神職一族も小野田氏、地名も小野田だ。小野田寛郎氏も一族出身だったようだ。
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鳥居を潜り階段を上ると、なんとお尻を上に向けた出雲っ子の狛犬が。大和系や出雲系が交差する古代の日本が頭に浮かぶ。
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見上げると神門を兼ねた立派な割拝殿が。その前には小野田寛郎氏の座右の銘“不撓不屈”の記念碑があり、割拝殿の向かって右側には、小野田寛郎氏のコーナーが設けられていた。
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フィリピンのルバング島で終戦を知ることなく30年間、最後の一兵になるまで過酷な環境で生き抜いた最後の帝国軍人は、昭和の人間にとって忘れ得ぬひとりだ。
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さて、小野田さんも興味深かったが、ここには伝承に惹かれてやってきた。和歌山県の名草エリア(現在の和歌山市と海南市)には語り継がれてきた古代の女性酋長の物語がある。名草戸畔(ナグサトベ)の伝承だ。

「日本書紀 巻第三 神武天皇即位前紀 戊午年六月」に次の記述がある。

六月乙未朔丁巳 軍至名草邑 則誅名草戸畔者〈戸畔 此云妬鼙〉
旧暦6月1日、皇軍が名草村に着き、そこで名草戸畔という名の者を誅殺した

誅殺はクーデター首謀者や国に反逆する者が処刑された時に使う言葉だ。つまり後の神武天皇、磐余彦(イワレヒコ)の神武東征で、討たれたということ。ところが地元では今なお名草姫の名で2000年前に実在したと思われる古代の女王を敬愛している。地元に伝わる伝承では、磐余彦に討たれた名草戸畔の遺体を、頭、胴体、足の3つに分断し、3ヶ所の神社に埋葬したとある。頭が葬られたとされるのが「宇賀部神社」。通称「頭の宮」だ。

縁起の詳細は和歌山県神社庁のHPに詳しいが、“一説に、神武天皇ご東征当時、紀北を支配していた豪族、名草戸畔の首級を祀るともいう”と、触れられているに過ぎない。祭神は神明帳によると軻遇突智命(カグツチノミコト)。神職の小野田家所蔵の宝治2年(1248)に記された古文書には、景行(ケイコウ)天皇の御代(71~130)に、山城国(現在の京都市右京区)「愛宕神社」を勧請したと記されており、古来から祭神として祀ってきた3柱のうち、中央祀神の宇賀部大神を軻遇突智命とする説に符合するらしい。このあたりがよく分からなかったが、HPにも詳細については不明と書かれていた。
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ガラスの覆屋で守られた本殿には、宇賀部大神と荒八王子命(アラハチオウジノミコト)、誉田別命(ホムタワケノミコト)が祀られている。
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向かって本殿左の「太神宮」には天照大神(アマテラスオオミカミ)、右の「天神社」には菅原道真(スガワラノミチザネ)を祀る社殿があり、それぞれ古くから座しているようだ。

現在も頭の守護神、頭病平癒の神“おこべさん”として敬愛されていることや、名草戸畔の腹部は「杉尾神社」、脚部は「千種神社」にそれぞれ近くに祀られている伝承から、古代女王の実在性は高いように思える。日本書紀で1行しか記されていないのが、よりリアリティを感じるではないか。また名草戸畔は討たれたものの、皇軍そのものは押し返すことに成功したという伝承もある。神武東征が目指す大和入りを、平易だと思われる平地沿いではなく、厳しい山越えルートを選ばざるを得なかったとすれば、名草戸畔をはじめ、各地の豪族の抵抗が激しかったという絵が思い浮かぶ。皇軍から見れば逆賊、民から見れば英雄と言う図式もリアル。神武天皇もまた実在したのだと思う。
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神木の“栂の木”を見上げれば、この日の天気のようにスッキリした。「杉尾神社」、「千種神社」と名草戸畔を訪ねる旅を続けよう。

# by sareko026 | 2025-05-19 06:37 | 要神社 | Comments(0)

有名どころだけではなく日常に埋もれた不思議な聖域や希少な神社仏閣を訪ね歩いています


by sareko026